「とにかく強い男になりたい」
中学生の当時、たかやんが考えていた”強さ”の基準は「喧嘩に勝つこと」だった。
喧嘩に明け暮れる毎日を過ごし、喧嘩に強くなるための筋トレも欠かさなかった。
「強そうなヤツを見つけると、片っ端から喧嘩を仕掛けてましたね」と懐かしそうに話す。
中学時代は学校一強いと呼ばれていた男を倒し、「オザワさん」と呼ばれるようになった。
高校に進むと喧嘩の傍らボクシングも始め、プロテストを受けるところまで進む。
高校卒業後は、スポーツクラブでインストラクターのアルバイトを始めた。
キッカケはボクシング中に目にした光景だった。リング上に倒れこむ相手の姿を何度も目にするにつれて、「闘って相手に勝つことだけが、本当の強さなのか?」と自問自答するようになる。しばらく色々と考えた末、ボクシング、そして喧嘩を離れることを決めた。
その後、「喧嘩しかやってこなかった自分だけど、なにか人の役に立てることをしたい」 と思い立ち、スポーツクラブのアルバイト募集に応募するも、ことごとく面接に落ち続ける。
最終的には「もうあとがないんです!みたいなことも言ってましたね、たしか(笑)」と話すように、なんとか崖っぷちで拾ってもらえて安堵した。
しかし、それも束の間。アルバイトを始めた後も苦戦が続く。
「高校まで喧嘩と筋トレしかやったことのない僕は、接客もはじめて。ぎこちない。特に笑顔が全くできなかった」
そのため、毎日お店裏に行き、トイレにある鏡の前で笑顔を作る練習を繰り返す日々を送る。
その甲斐あって、喧嘩で培った強面から、相手を包み込む柔らかい笑顔へと一歩ずつ変化していった。
インストラクターのアルバイトの話をしてくれた後、もう一つ学生時代のエピソードを聞くことができた。
「僕、”一周癖”があるんですよ」
関東一周、日本一周、世界一周。
彼の大学時代を振り返るとたしかに”○○一周”という文字が並ぶ。
しかし、高校卒業まで海外はおろか、県外にも出たことがなかった。
みんなが行く修学旅行にもいかなかった。
「中学・高校時代の修学旅行は、両方欠席しましたね(笑)当時は喧嘩ばかりしていて、ろくに友達もいなかったので、行っても面白いと思えなかった」からだそうだ。
転機になったのは、大学入学直後の出逢い。
親しくなった福島県出身の友達から地元の話を聞き、自分の生まれ育った地元との違いに興味を持つ。
「一つ県を超えるだけでも、これだけ違うのか。そう考えると、一つ国を超えるってすごいことだな」と気持ちが高ぶった。
外の世界に興味をもったたかやんは、県外を体験すべく、20歳のとき初めて関東一周の旅に出ることを決める。
冬が近づく11月、原付バイクでの旅が始まった。
「特に大変だったのは、群馬。山道で凍えそうになりながら、道端で野宿してましたね」
それでも、なんとか一つ実現したことで自信が生まれ、次は日本一周にチャレンジしようと決心する。
東北では冬の寒さに凍え死にそうになったり、四国では1000km以上に及ぶ道のりを歩いてお遍路を乗り越えたりしながら、46都道府県を回り、二つ目の一周も実現。
また少し自信がついた。
そして2009年6月。大学4年生となったたかやんは三つ目の一周の旅に出ることを決める。世界一周の旅だ。
半年間アルバイトでコツコツ100万円を貯め、初めてパスポートを作り、
バックには「竜馬がゆく」全巻と「燃えよ剣」の上下巻を詰め込み、準備を整えた。
初の海外が世界一周だったが、ガイドブックは持たず、自分の肌で体感することを大事にしようと思った。
1カ国目の中国こそ、英検4級以下の英語力が災いし「空港内の標識を読み間違えて出国できない」というハプニングに見舞われたものの、半年間かけて5大陸・12ヵ国を周った。
訪れるすべての国が初めて。
これまで触れたことのない人・言語・宗教・文化に触れ、いつか海外で仕事をしたいと想いが生まれた。
世界一周に向けて準備している頃に「銃で打たれるぞ!」とか、「生きて帰ってこれないよ!」と言われ、周囲から反対されることもあったという。
しかし、無事に旅を終えた帰りの飛行機の中で「やっぱりやってよかった」と思えた。
そして、「言葉よりも、まずは踏み出すこと」の意味を強く感じる旅となった。
高校時代、海外はおろか、地元・神奈川から一歩も外に出たことがなかったたかやん。
自分で決めたことを一つずつ実現していくことで、いつしか一周癖と感じるほど、一歩踏み出すことに躊躇しなくなった自分がいた。
新卒で入社した会社に1年2ヶ月勤めた。その後、海外への思いを捨てきれず、縁あってカンボジアに渡ることになった。
海外で社長となって仕事をするチャンスは掴んだが、何の事業をするかは決まっていなかった。
半年間、カンボジアで放浪した後、日本人が集まれる場所がないことに気づき、現地でBARを開くことを決める。
経営もはじめてであれば、BAR運営もやったことがない。
ただ、現地での実感をもとに思いついたアイデアを信じ、すぐ形にした。
最初はカフェを夜の時間だけ貸してもらう形で小さく始めた。
バーカウンターは木を切って自作。
半年後、単独で店舗を借りられるまで成長した。
次第にお客さんが集まるようになり、2013年夏には2店舗目となる日本食レストランをオープン。
直近では3店舗目のオープンを控えるまでに成長した。
一歩ずつ順調にようにも感じるたかやんに、カンボジアで過ごした4年半を振り返って感想を聞いてみた。
「7:2:1ですね。7割は嫌なこと。2割は本当に信じられないぐらいショックなこと。停電やスタッフが脱走したりするのは日常茶飯事(笑)そして、ときに日本では予想しないトラブルに遭う。でも・・・残りの1割が、とんでもなく楽しいから、今まで続けてこれてます」
その1割とは?
たかやんがカンボジアに来て、最も感慨深い場面がある。
社長として初めて、たかやんが2人の現地スタッフに一万円の給与を手渡したときのことだ。
一万円という金額自体は、日本の正社員の月給に換算しても大きくはない。
しかし「このお金で日本語学校いきます!お客さんと日本語でコミュニケーションが取れるようになれば、もっと楽しいから」と目を輝かせて話す現地スタッフの姿にハッとさせられた。
毎年国や都市の風景が一変するほど成長著しいカンボジアだが、決して経済的にはまだまだ豊かとはいえない。
「初めて給料を手渡したときの表情の変わり方・喜び方・目の輝きは、今でも忘れられない。経済的なものの大切さだけでなく、真っ直ぐさ・心の豊かさの重要性も身に染みて学んだ出来事でした」
自分の知らない世界に一歩を踏み出し、新たな土地で、新しい人と出逢い、新しい文化や風習に触れる度、もちろん苦労することも山ほどある。
だが、それを上回る体験の一つひとつが、たかやんを前に推し進める原動力になっている。
カンボジアでの事業を立ち上てから間もなく4年が経ち、今は3店舗目の出店が目前に迫っている。
その傍らで、たかやんにはずっと抱き続けてる想いがある。
「一人でも多くの日本人が海外に出ることを応援したい。別に大きなことをしようとしなくてもいいんです。現地で体感することで実感が湧く。それによって自分の選択肢や可能性を広げてほしい」
「現在は2店舗で10人ほどしか雇えないですが、将来100店舗経営できるようになれば、少なくとも100人以上に体感を通じたきっかけを与えられると思うんです」
日本の人たちに海外から希望と機会をつくりつつ、自らも新しい一歩を踏み出し続けること。
それが今のたかやんが目指す”強さ”の基準なのかもしれない。
たかやんの海外での挑戦はまだまだ続く。
今回、インタビューの撮影に協力してくれたのは、たかやんの大学時代の友人・山岡千紘さん。
異なる大学の学生が集まる学生団体の活動で会って以来、6年ぶりの再会だったそうです。
社会人になっても、それぞれの道を歩んでいても、国境を隔てて生活していても、再会したときにはすぐ当時の感覚に戻れるのは、学生時代の友達同士ならでは。
87年会を通じて、もっとこういった再会の機会を作っていけたらいいなぁ〜とも感じる一時間でした。
たかやんが、カンボジアで一緒に働ける仲間を探しています!
カンボジアの首都プノンペンで展開する店舗の、店長・マネージャー・ホール接客スタッフなどのポジションで、絶賛募集中です。
・英語はできなくてもOK!
・好奇心と「行きたい!」という気持ちがあればどなたでもウエルカム!
・期間は特に問わず、それぞれ働きやすいよう福利厚生もご用意致します。(住居支給など)
・給料などご不明点・ご質問はいつでもメッセージで受け付けます。
「海外に挑戦したい!」「高め合える仲間と海外で一緒に仕事がしたい」という人は、是非たかやん宛にfacebookで直接メッセージを送ってみてください。
また、「観光などでカンボジアやその他近隣国に行かれる際のご不明点などでもお気軽に連絡ください!プノンペンに来られる際は案内もさせていただきます!」とのこと。
4年をカンボジアで過ごした本人だからこそ知る、ガイドブックには載っていない、現地の隠れスポットにも案内してくれるかもしれません♪