#14 新谷 夢さん

2016年2月28日



新谷夢さん。  
1987年生まれ。香川県高松市出身。ミャンマー(ヤンゴン)在住。
 
あらゆる同世代の“生き方”に触れる87インタビュー。
 
14回目の今回は、2013年にミャンマー最大の都市・ヤンゴンで起業し、お土産販売ビジネスを展開する「新谷夢(しんたに ゆめ)さん」です。
 
2014年にヤンゴンの観光街ボージョーアウンサン・マーケットに直営店を出店。クッキーやミャンマーの伝統的な民族衣装を使った小物などのお土産の企画・開発・販売を手がけつつ、まだあまり知られていないミャンマーをPRする広報活動にも熱心に取り組んでいます。
 
そんな新谷さんがミャンマーに渡ることを決めた背景には、どんな原体験があったのでしょうか。
 
また、「あのときみたいな『空白の期間』を過ごしたくない」と語る、新谷さんの生き方に迫りました。  
 
 

「熱中できるモノが欲しくて」

 
「私、『ぷよぷよ』がすごく好きで。お姉ちゃんとよくゲームをして遊んでました。『ファイナルファンタジー』とかもよくやってましたよ」  
 
幼少期から新谷さんは、ファミコンやテレビゲームに夢中な子どもだった。
 
小学生になると、ニンテンドー64の「スマブラ(スマッシュ・ブラザーズ)」に熱中し始め、毎日3時間以上に渡って熱中する毎日を送る。
 
人気ロールプレイングゲームシリーズ「ファイナルファンタジー10」の発売された中学2年の夏休みは、まさにゲーム一色の夏休みとなるなど、小中学時代は勉強よりも、部活よりも、自宅でゲームに没頭する毎日を送っていた。
 
そんな新谷さんだったが、高校に入ると同時にゲームから遠ざかる。
 
これまで以上に「熱中できるモノが欲しくて」という思いから、高校では部活に入りたいと考えていた。
 
その思いに合った部活を探す中で選んだのは、高校から始めてもインターハイを目指せるヨット部。
 
通っていた高校は「ヨットが強い学校でしたし、やるなら一生懸命やりたいし、ちゃんと結果も残したいな」と考えていた新谷さんにとってピッタリの部活だった。
 
高校3年間を通じて、試合ではあまり思ったような成績は残せなかった。しかし、「部活を始めたら、毎日練習漬けの日々で、ゲームのことをすっかり忘れてました」と振り返るように、一心不乱に打ちこめるモノを見つけられたことで、高校時代は充実した毎日を過ごすことができた。
 
 

『虚しさ』を感じた就職活動

 
02_2
「小中はゲームがあって。高校はヨットが見つかって部活も頑張れたけど、大学は、熱中できるものが見つからなくて・・・」
 
大学入学後、以前のように打ちこめるモノを見つけられずにいた新谷さんは、次第にもどかしさを感じるようになっていく。
 
英語ではESSサークルに入ったものの、いまひとつ身が入らない。
 
中学生時代から「ずっと行きたい」と思っていた海外留学の夢は、交換留学プログラムを利用したカナダ留学で叶えることができた。それでも、どこか物足りなさを感じている自分がいた。
 
それは、新谷さんの在籍していた経営学部の中で、起業を目指す学生が集まる「アントレプレナープログラム」の同期たちの影響が大きい。
 
新谷さん自身、もともと「起業したい」というような強い思いがあってアントレプレナープログラムに参加したわけではない。
 
高校の進路選択に迷っていた時に、父から「ここ面白いんちゃう?」という勧めで、経営学部を選び、起業を支援するアントレプレナープログラムのカリキュラムを選択したこともあり、入学当初から同期の学生の勢いや本気度に戸惑いを感じていた。
 
大学時代を振り返り、「サークル活動や留学も含め、そんな大きくやり残したことはなかったと思います。でも、大学生活全体を通して、アントレプレナープログラムに(在籍して)いただけに、同期のみんなが学生起業したり、積極的にインターン行ってたりする姿を見るたび、少し焦りを感じてました。私の場合、大学でインターンも行かなかったし、起業もしなかったし、授業も真剣に受けてなかったし。でも、正直『まぁ、楽しいからいいか』くらいにしか考えていませんでした」
 
「しかし、それが不安に変わったのは就職活動の時です。同じ学部のプログラムに在籍している同級生がどんどん内定を取っていく一方、私はなかなか面接が進みませんでした。履歴書は一生懸命考え、少し大げさに表現してでも自分を大きく見せようとしましたが、細かい点を指摘されると言葉に詰まることも多く、その時は言いようのない恥ずかしさに襲われました。そして、『自分は一体何をしていたのだろう?』と次第に虚しさのようなものを感じるようになっていきました」
 
高校までのような熱中できることを見つけられない自分と、熱中できることを見つけて進んでいく同期。
 
そのギャップを近くで見ていたことで、自分に対しての「物足りなさ」は膨らんでいく。
 
 

身近な家族の後押しが「一歩踏み出す勇気」をくれた

 
02_2
それでもなんとか地元の銀行への就職が決まり、大学卒業後、関西から四国へUターンした新谷さん。
 
毎週日曜日には、家族全員で夕飯を食べる新谷家の日課も復活し、平穏な日々を送っていた。
 
そんなある日の週末。ミャンマーへ渡る話は、日課だった家族での夕飯の会話から始まる。
 
「私が就職する以前から、父がミャンマー人の知り合いを訪ねて、年に一回〜二回ミャンマーに行ってて。ミャンマーの話題を聞くようになったのが、就職して2年目の終わりぐらいからですかね。最初は『ミャンマー、すっごい面白かった!』っていう話から始まり、しばらくして父の知り合いがミャンマーで起業することになったタイミングで『夢、なんか面白そうだから行ってみれば?』っていう話になってました」
 
大学で打ち込めるモノを見つけられなかった反動から、「就職した後も、自分では色々探してました。ワーホリとか、奨学金で海外の大学院に行く方法とか、日本国内でMBAを取得するのもいいなっと思ったり。ただ、色々調べてはいたんですけど、実際やるには至らず」というように、一歩踏み出せない状況が続き、もがいていた新谷さん。  
 
ただ、ミャンマーの話が巡って来たときは違った。
 
「本当に思いがけない話だったので、あまり考え過ぎることなく、スッと飛び込めたのかな」と振り返るように、ミャンマーに渡る決心をするのにそれほど時間はかからなかった。
 
「もともと就職して3年間は、どんなことがあっても社会人として働くつもりでした。それが、思いがけず父から話があって、直感で大きなチャンスのように思えて。それがもし自分で地道に探してて、仮にネット検索でミャンマーのことが引っかかっても行ってなかったと思います」  
 
「身近な父から勧められたのが大きかったし、もし一人で考えてたら、ミャンマーで何か始めるっていう発想は出てこなかったし、一歩を踏み出す勇気はなかったと思います」
 
身近な家族の存在が、新谷さんの一歩を後押ししてくれた。
 
ーーあれから約4年。
 
2012年夏にミャンマーに渡った当初は、父の知り合いが起業した会社で働き、一年後に起業した。
 
「ミャンマーに渡って最初の頃、私も色々不安で『大丈夫かな』って思ってたんです。でも、一歩踏み出したら、次の一歩を踏み出すハードルが下がるように感じて。一度自転車のぺダルを漕ぎ出すと、それほど力を入れなくても前に進めるみたいに」
 
「私の場合、最初から大きな志があった訳ではないんです。『ちょっと何か始めてみたいなぁ』とか『ちょっとクッキー売ってみた』ぐらいの感覚で始めたのが、やってるうちに楽しくなって。『絶対に起業!』とかも思ってなかったし、最初は『お土産これだけ増やして、これだけの売上を出して』という明確な目標もなかったんです。でも、今ミャンマーでこうやって活動できているのは、素敵なご縁と、『最初の一歩』があったからかなぁと思います」
 
4年前に踏み出した最初の一歩が、ミャンマーに渡った今も新谷さんの次の一歩を支えている。
 
 

「『やり残したな』って思うことや何もしない『空白の期間』を作らないようにしたい。今を精一杯楽しみたい。」


「私の中で、まだ『絶対に(コレっ)!』っていうものが見つかっている訳ではないんです」
 
「ただ、ミャンマーで色々なことに取り組んでると日々新しい発見があって。『あっ!これ意外に私がやりたいことやったんやなぁ』とか、『これずっとやりたいと思ってたけど、なんかイマイチ違うな』とか思うことがあったり。やっぱり『やってみないと分からない』体験がたくさんあって。本当“走りながら考えてる”感じかなぁ」
 
軍事国家から民主国家への道を歩み始め、歴史的な転換期にあるミャンマーでは、日々予想外の出来事や変化に出くわす。
 
「でもミャンマーが好きで、ミャンマーっていう国で何か続けていきたいなっていう気持ちはずっとあります。不安になるときもありますが、自分の気持ちに素直に楽しいと感じられる選択をするように心がけています。これが正しいことなのか、正しいことじゃないのかって考え始めると不安になるし、結局答えはやってみないとわからないから」
 
「まだ『絶対コレ!』といういものが見つかっていなくても、やっているうちに、『これが本当にやりたいことやったんや!』って確信できるものが見つかるかもしれないし。違ってたら違ってたで、また次のことが見つかるかもしれない。今、自分の気持ちに正直に生きると、道は開けると信じているし、後で後悔することもない。そしてなにより、楽しい」
 
そんな新谷さんに、これからの生き方について尋ねてみた。
 
「『やり残したな』って思うことや、何もしない“空白の期間”を作らないようにしたい。何かに打ち込んでいたいんです」
 
「私、小学校〜中学校までゲームばかりだったけど、全然後悔してないんです。打ち込んでたし、ゲームも納得いくところまでレベルアップさせられたし。一生懸命何かをしたい。自分が何かに一生懸命打ち込んでる時間って、それがゲームにせよ、スポーツにせよ、勉強にせよ、すごく楽しいから。そういう気持ちでずっと在りたいかな」
 
幼少期のゲーム、高校時代の部活、そして現在のミャンマー。
 
その時々、自分の熱中できるモノを見つけて打ち込むことで、自分なりの面白味や楽しさを見い出していく新谷さんのチャレンジは続く。
 
02_2
 
 

プロフィール

新谷 夢(しんたに ゆめ)  

1987年生まれ。
香川県高松市出身。ミャンマー(ヤンゴン)在住。  
立命館大学経営学部卒業(産学協同アントレプレナー教育プログラム修了)
 
大学卒業後、地元・香川の銀行に就職。3年目に差し掛かった2012年夏、父の勧めをきっかけにミャンマーの不動産会社Sky Bridge社に転職。2013年10月に「シンピューレー社(Sin Phyu Lay Co.,Ltd.)」を設立し、独立。
現在、6名のミャンマー人スタッフと一緒に 「ミャンマーの美味しい食べ物・素敵な伝統品を世界に発信する」ことを目指している。
 
主に、ミャンマー各地を実際に回り、様々なミャンマーの伝統に触れた中で 厳選された高品質の商品の企画・開発・販売事業を行う。ミャンマーの今を知ってもらう活動の一環として、旅行会社と共同で大学生向けインターン事業にも取り組んでいる。
 
現在、ミャンマー最大の都市・ヤンゴン市内の観光街ボージョーアウンサン・マーケットに直営店を出店するほか、ヤンゴン国際空港のお土産売り場でも販売中。
 
ミャンマーでの活動の様子は、「クーリエジャポン2014年11月号「新しい働き方」特集」など、複数の雑誌メディアやWebメディアにも掲載。
 

 
 

編集後記

02_2
お土産関連の事業を営む傍ら、日本人にもミャンマーを身近に感じてもらう広報活動も積極的に行っている新谷さん。
 
去年自ら執筆を始めた、自分自身を「ターニャ」という“ゆるキャラ”に見立て、ミャンマーで経験したエピソードを紹介する「ミャンマー一喜一憂物語」もミャンマーの広報活動の一つ。
 
10話以上に渡り、笑いあり、驚きありのユニークな実体験とともにミャンマーのリアルが綴られています。
 
それ以外にも、お土産を作っている工房の見学を始めたり、現地インターンの受け入れを始めたり、国際見本市に自作の着ぐるみを着て出掛けたりと、ミャンマーのPRに走り回る日々。
 
「ミャンマーは、4年前、なにもなかった私に“挑戦するチャンス”を与えてくれた場所。だから感謝してるし、頑張らんと」
 
そんなミャンマーへの恩返しの気持ちも、新谷さんの挑戦を支える原動力の一つになっているようです。
 
 
(編集・撮影:87年会 編集部)

 

この記事をシェア
Share on Facebook18Tweet about this on TwitterShare on Google+0Share on Tumblr0