#16 荒殿 美香さん

2017年3月12日



荒殿 美香さん。 
1987年度生まれ。宮崎県出身、ケニア(ナイロビ)在住。 
 
87年度生まれの同い年の生き方を知る87インタビュー。 
 
16回目の今回は、アフリカ・ケニア在住4年目を迎え、 
現在、日系食品会社のマーケティングマネージャーとして、現地スタッフとともに働く荒殿さんです。 
 
教科書の出版社へ新卒入社後、NGOでのインターンを経て、2013年夏に青年海外協力隊としてアフリカ・ケニアへ渡った荒殿さん。 
 
新卒で入った教科書出版社を退職し、協力隊への道を選んだ理由とは。 
協力隊の任期満了後も現地に残る選択をした背景にはどんな思いがあったのか。 
現地在住4年目に入り、今考えている将来とは。 
 
ケニアの首都・ナイロビにて、荒殿さんの生き方を聞いてきました。 
 
 

「昔から“表立って目立つ”タイプではなく、どちらかというと“縁の下の力持ち”的なタイプ」


温暖な九州・宮崎県で生まれ育った荒殿さん。 
 
「今も宮崎の実家へ帰省すると、すれ違った子供たちが元気な挨拶をしてくれて、びっくりするんですよね(笑)」 
と話すように、人のつながりや温かさを大切にする故郷で高校卒業までを過ごした。 
 
「あまり小さい頃の記憶はないけど、小中高と“面倒見”は悪くなかったと思います」 
と語るように、 
いとこや兄弟に年下が多かったこともあり、自然と面倒を見る役割になることが多かった。 
 
そういった性格のせいか、学校生活でも「中学・高校の頃は、みんなの嫌がる仕事をしょうがなく引き受けることも多かった」と笑う。 
 
「昔から“表立って目立つ”タイプではなくて、どちらかというと“縁の下の力持ち”的なタイプ。 
だから、パッとアイデアを閃いて、みんなを引っ張っていくというよりは、 
『コツコツ作り上げていく』というか、(誰かのもっている)アイデアを“どうやったら実現できるか”をみんなで話し合って計画を立てて『一つずつ作り上げていく』ほうが楽しい。 
そう感じるのは、今でも変わらないかな」と語る。 
 
 

「途上国の人たちと一緒に成長できることをやりたい」高校時代に思い描いた夢


幼い頃の話を両親に尋ねると、 
「色々な習い事にいかせてみたけど、人見知りですぐ泣いて帰ってきたらしくて。バレエとかも自分から『やりたい』って言って行ったけど、結局うまく馴染めなくて一回で辞めたりとか…」 
 
そんな中で“唯一”続いた習い事は、幼稚園の頃に始めた英会話だった。 
 
小中と進むにつれ、他の習い事は続かなかったが、英会話だけは好きになれた。 
 
次第に「もっと英語を勉強したい」と思うようになり、中学卒業後は、国際関係に特化した地元高校の学科へ進む。 
 
「高校時代のクラスは、国際志向を持っている人とか国際開発とかに興味のある人が多かったですね。 
英語も強化している学科だったから、海外や宮崎の外のことにも興味のある人が多くて。 
だから、大学も東京のほうにある大学を志望する人が多くて、自然と(生まれ育った宮崎の外の世界にも)興味をもつようになったと思います」 
 
周囲のクラスメートに影響を受けたことで、高校時代は、自身の思考の枠が一回り外の世界まで広がった。 
 
大学入試の時期が近づくと、将来の進路を具体的に考えるため、国際関係のことについて調べ始める。 
国際協力や国際開発などに関する文献を読んだり、友人や先生と話したりしながら、自分の思いを整理していく。 
 
「その時、(途上国の)”支援慣れ”みたいなのを文献とかで見たりとか、先生とかと話したりしているうちに、単純に『支援だけでは変わらないんだ』って思うようになって。 
じゃあ『現地の人たちと一緒に成長できることをやりたい』って言ってたのは、今でも覚えています」 
 
 

「私には、国際開発の仕事なんてできないな」初めて味わった挫折感


高校卒業後、思い描いた夢を実現するため、国際関係のことを学ぶ学部のある関東の大学へ進学。 
将来は国際開発の仕事に就くことを目指していた。 
 
しかし、大学進学後しばらくすると、宮崎県内の人と接する機会がほとんどだった高校時代まで、それほど意識していなかった壁にぶつかる。 
 
「いろんな人がいて、パッと世界が広がったのは大学に行った時かな。もっと海外志向の人がいて、もっと優秀な人がいっぱいいて。世界の広さと自分の未熟さを知った」と振り返る。 
 
それと同時に、「多分ショックだったんだと思います。『みんなすごいな』と思って、あんまり馴染めなくて…。 
その時に、自信をちょっと無くしてたと思うんです。『世界は広いんだなぁ』とか、『日本にはもっと優秀な人がいるんだなぁ』とか」。 
 
いつしか「私には国際開発の仕事なんてできないな」という思いが頭をよぎり始める。 
 
初めて味わう挫折感によって、高校時代に描いた夢を胸にしまい込むように。 
 
 

「『向いてるな』って思ったんです。ちゃんと“自覚した”のは、その時かなと」


挫折感から自分の夢とは少し距離を置き、 
大学2年から、小中学生向けに教育活動を行うボランティア・サークルへ参加するようになった。 
 
「子供をキャンプに連れてったりとか、イベントを企画したりするのを大学生が中心になってやっていく感じのサークルで。 
一から企画したりとか、全て大学生だけで計画したりとか、そのサークルに入って初めて企画をちゃんとやる経験をして」 
 
「その時『向いてるな』って思ったんです。 
ちゃんと“自覚した”のは、たぶんその時かなと。 
いろんなアイデアをみんなで出し合って、それを形にしていく。そういうのがすごく楽しくて」 
 
『企画するんだけど、自分が楽しみたいというよりは、みんなに楽しんでもらいたい』っていう気持ちが、もともと強くて。 
それは昔からかな、中高の頃のことは覚えてないけど、それが(明確に)出てきたのが、大学時代のボランティアサークルで。だから、計画するとか、企画するとかはすごく得意になった」と振り返る。 
 
 

「やっぱり『このままじゃ嫌だな』って思ったんです」


大学卒業後、サークル時代の経験から「(教科書を通じて)子供の将来に役立ちたい」と思い、教科書の出版社へ入社。 
小学校〜高校までを担当する営業として働き始める。 
 
入社当初は仕事を覚えることや慣れることなどに精一杯。 
しかし、仕事に慣れていくにつれて、少しずつ気持ちの余裕が出てくる。 
 
それとともに、大学入学当初に思い描いていた国際協力や国際開発の分野へ携わる夢を諦められない気持ちが強まっていく。 
 
「やっぱり社会人になって仕事してみたら、『このままじゃ嫌だな』って思ったんです」 
 
 

「一度、この時期に海外へ出てみるのもいいかもよ」 背中を押してくれたNGOのメンバーの後押し


「やっぱりやろう。自分を変えよう」 
 
自分の夢に対して、一歩踏み出すことを避けていた自分と決別することを決心し、3年間勤めた出版社を退職。 
 
ベトナムやミャンマーを支援をするNGOにインターンとして関わり始める。 
 
以前、旅行で東南アジアの国々を訪れた経験から、アジアに対して関心を持っていたことに加え、 
「将来NGOで働こうとか、そういうところも含めて、NGOがどういう運営や活動をしてるのかを知りたくて。  
その時募集してたのが、たしかそのNGOだった」と振り返る。 
 
インターンの立場ではあったものの、広報やイベントの企画運営スタッフとして、ようやく国際開発につながる一歩を踏み出した。 
 
実際の実務面を通じ、寄付による支援の難しさを実感した一方で、「そのNGO運営に参加しているみんなから影響をもらってました。色んなアイデアを持ってる人がいて面白いなと思ったし、ファンドレイジングとかに詳しい人もいてすごく勉強になった」と語るように、同僚のメンバーから学ぶ機会も多く得られた。 
 
また、知識やスキル以外にも、「(同僚の)みんなと話してるだけでも、すごく刺激を受けた」と語る。 
 
「社会人になって働き始めてから、しばらく海外志向の人と会ってなかったし、海外の支援に携わってる人は英語もすごくうまいし。なにより『視野が広いな』と思って。それを見て『自分、こんなんじゃダメだな』って思ったんです」 
 
また、NGOのインターン募集へ応募したのと同じぐらいの時期に、青年海外協力隊の募集へも応募していた。 
ちょうどNGOのインターンを始めた直後に合格の知らせが届く。 
 
「NGOのインターンを始めた後に結果が出て、(協力隊へ行こうかどうか)悩んでた時に、同僚の人たちが『スキルアップも兼ねて、一度この時期に海外に出てみるのもいいかもよ』と言ってくれたから、協力隊に行くことを決めて」 
 
NGOの同僚の人たちが背中を押してくれたことで決心が着き、 
高校時代から思い描いていた国際開発の現場で働く第一歩を、青年海外協力隊として歩み出すことになった。 
 
 

「やっぱり踏み出したほうが楽しい。悩んだら」 そう思わせてくれた協力隊での一歩が転機に


協力隊での赴任地の希望は、滞在経験のあるアジアではなく第3希望までアフリカの国にした。 
アフリカは、これまで行ったことのない未経験の地。 
だが、自分にとっての新しい地・アフリカで、ゼロから新たな一歩を踏み出したいと思っての選択だった。 
 
赴任先は、ケニアの首都・ナイロビから車で約‪1時間ほど離れた地方都市・ナイバシャに決まった。 
標高約1800~2000m付近に位置するナイバシャは、降水量の少ない乾燥した気候。周辺にはサファリで有名な国立公園などの観光スポットもある街だ。 
 
配属先は、ナイバシャを管轄する農業省の農務官事務所。 
 
事務所には、作物栽培・農業ビジネス・家政など、各専門分野ごとの現地スタッフがいる。 
 
そこでの任務は、彼らと協力して地域を回り、農業技術に関するセミナーやワークショップの企画運営などを通じ、ナイバシャの農家の人々に農業技術の指導や普及活動を行うこと。 
 
赴任当初は、未経験の新しい分野へのチャレンジに新鮮さを感じつつ、「せっかく農業省にいるんだから」という気持ちで、農業について勉強しながら進めていった。 
 
しかし、時間が過ぎるにつれ、方向性の転換を考え始める。 
 
「農業のスキルって、そんな中途半端にやって身につくものでもない。農業省に配属されている現地スタッフたちは皆専門家だから、農業に関するスキルを身に付けても意味が薄い」 
 
そう感じた荒殿さんは、農業省内に篭って農業のスキルを身につけることに時間を注ぐのではなく、積極的に外に足を運んで現地情報を集め、「自分にできる“アイデア”」を探すことに時間を注ぐようになった。 
 
現地でツテを辿って様々な人に会って話を聞いたり、ナイバシャの農家を訪問したりすることで、現地の課題解決に繋がるアイデアの“タネ”を探し回った。 
 
そうしているうちに、ケニア人の食生活に一つの課題を発見する。 
 
「基本的にケニアの料理ってパターンが決まってるから、(料理の)幅が狭くて」。 
ナイバシャでは、コスト面や技術不足の問題から、小規模農家が栽培できる野菜のバリエーションが少ない。また一般の人も情報にアクセスできる機会が少なく、新しい食べ物や調理方法に挑戦する人も少ない。 
ケニアの一般家庭における食生活は、料理のバリエーションの少ないことで野菜などが不足しやすく、“栄養バランスの偏った食生活”につながりやすい。 
 
その一方で、「ナイバシャって、ブロッコリーやなす、ピーマンなど園芸作物の大規模な産地になってるんです。主に輸出用なんですが、地元のスーパーの店頭などにも入荷されてて、でも、地元のケニアの人たちには、栄養価とか調理方法とかがあまり知られてなかったんです」。 
 
現地の人たちの気づいていない、課題解決につながるギャップに着目した荒殿さんは、同僚の現地スタッフと協力し、 
ナイバシャ市内のスーパー数店舗の前で栄養価の高い野菜を使った調理方法や加工方法を知ってもらう試食会を企画する。 
また、試食会を通じて体験してもらうだけでなく、レシピを作って配布することで、地元の人々に自宅でも実践してもらえるような工夫を加えた。 
 
試食会を訪れた地元の人たちからの好評を得られたことで、次につながる手応えを感じられた。
 
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試食会後も「もっとケニア人に食生活の改善について関心を持ってもらい、積極的に参加してもらうにはどうすればいいか?」をテーマに、同僚と議論を重ねていく。 
 
そして、より良いアイデアを探す過程で、同じ農業省の中で働く一人の現地スタッフの女性に出会う。 
 
「農業省で家政エリア(ホームエコノミクス)を担当してる女性スタッフがいて。栄養改善とか食生活改善とかを主に担当していて、積極的に働く人でもあったから、彼女とすごく気が合ったんです」 
 
「(彼女は)政府から家庭菜園を普及させる研修プログラムを受けていて、『オフィスの裏にちょっとした庭を作って、デモンストレーション用の庭にしよう』とか、自分で色々なアイデアを出して実行していく人でした。その女性スタッフのアイデアが、ケニア初の『家庭菜園コンテスト』だったんです」 
 
ナイバシャは、標高約1800mの高地かつ乾燥地帯。 
乾季になると水不足や野菜価格の高騰によって、野菜へのアクセスが制限される。 
また、ケニアでは、市場やスーパーなどに入荷する食材の中には、生産元(トレーサビリティ)の不明な食材も多いため、各家庭が安全な食料を確保することに対して課題がある。 
結果的に、国内の消費者が安心して食べられる野菜の選択肢を狭めてしまう。 
 
それら複数の課題を同時に解決する手立てとして、各家庭で「家庭菜園」を行う習慣を普及させたいと彼女は考えていた。 
家庭菜園を行う習慣が広まれば、現地の各家庭にとって安心・安全な野菜を安定的に確保する助けになる。 
 
そのために、ケニアで初となる「家庭菜園コンテスト」を開き、各地域の家庭菜園を行う模範(モデル)となる人々を表彰することで、その周囲の人々へ家庭菜園の認知を広げていくアイデアを考えていた。 
 
そのアイデアを形にすべく、いよいよ始まった家庭菜園コンテストの実現を目指すプロジェクト。 
 
前例のない中で一から作り上げていくのはもちろん、 
お互いの習慣・文化の違いによって生まれる(仕事への)姿勢や時間感覚などの違いを乗り越えていく道のりは決して平坦ではない。 
 
「ケニア人は計画とかが苦手で、タイムスケジュールに沿ってやることにも慣れてない人が多い。 
あと、実現するためには資金とかサポートしてくれる人とかが必要で」 
 
多くのケニア人と同様、彼女も実現までの計画をまとめていくことは苦手だった。 
その一方で、実現までの計画を立てて実行していくのは自分自身の得意分野。 
 
「これまでの経験が活きて」と話す通り、アイデアと熱意を持つ彼女の苦手な部分を、 
自身の得意な部分や経験などを活かしてサポートする形でプロジェクトを進めていく。 
 
最終的に、資金面もJICAなどから調達するメドがつき、なんとか実現までこぎつけた。 
 
「彼女がいなかったら実現できてなかったと思うし、私のプッシュがなかったら実現できてなかったと思うし。(お互いの長所を尊重した)良いコンビネーションだったと思います」 
 
「『パートナーがいないと上手くいかない』と言われるケニアで、彼女と私みたいなモチベーションの高い人同士が出会えるのはすごく大事で、大きかったと思う。だから(お互いを支え合って)一緒にやれたんだと思います。きっとマッチングしたんでしょうね」
 
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お互いの文化や習慣を超え、ケニア人女性スタッフとお互いの長所を活かしてアイデアを形にできた。 
その経験が、現地の人と一緒に成長しながら何かを作り上げることに対して、さらに想いを深める原体験となった。 
 
それと同時に、自分の長所を再発見する機会にもなった。 
 
家庭菜園コンテストのとき、農業の専門家ではない荒殿さんを支えたのは、奇しくも(自分の夢から距離を置いていた)大学のサークル時代に培われた、“一から企画する”経験。 
 
「コンテストの時は、これまでの経験が活きて。アフリカでは、何もないところからやっていくからこそ、一から作り上げていくスキルが大事だと思えた」と語る。 
 
挫折して落ち込んだ時期に自覚した長所が、時間を経て、思わぬ形でアフリカでの活動を支えてくれた。 
 
今、協力隊員として過ごした日々を振り返ると、 
 
「やっぱり私にとって、『協力隊に来た』っていうのが、すごく大きなことだったんだと思います。 
もし来てなかったら、日本でナァナァな生き方をしてたと思う(笑)」 
 
「『思い切りがついた』っていうか、思い切ってやってみれば、なんとかなるんだなって。 
やっぱり踏み出した方が楽しい。悩んだら。 
悩んだら、やったほうがいい」 
 
そう思わせてくれた協力隊での一歩が、自身にとって大きな転機となった。 
 
 

「隊員の経験だけでは、不完全燃焼」 思いの実現へ向け、現地に残って挑戦する道を選ぶ


協力隊としてケニアに渡って以来、現地スタッフと一緒に企画を立ててプロジェクトを実行していく中で、現地に存在する多くの課題も見えてきた。 
 
その反面、協力隊としての任期は徐々に終わりに近づき、自身の心の中に焦りを感じていた。 
 
協力隊として赴任してからの2年間、 
「基本的に、私が『これをやりたい』っていうことを発信してっていうよりは、現地スタッフの人たちが『やりたい』っていうことを後ろ盾する形でやっていて。 
自分一人で『これをやりたい』って発信して、現地スタッフの人たちが付いてきたとしても、私がいなくなったらやらなくなるっていうのは違うんだろうなと。 
(限られた任期の中で)私が一人で発信し始めて、周りの人を巻き込んで、ケニア人の仲間たちのモチベーションを上げてって、(立場的にも)すごく難しいんです。2年間じゃ、ちょっと厳しい…」 
 
まだまだ現地でやり残したことがたくさんあるからこそ、 
「隊員の経験だけでは不完全燃焼」という思いを拭えない。 
 
隊員として赴任以来、現地コミュニティに入り込み、ケニア人の農家や同僚スタッフ、企画を通して出会った地元の人たちなどと一緒に過ごす中で、 
これまで以上に現地の課題が見えるようになり、この2年間とは違った角度からケニアに関わってみたいと考えるようになる。 
 
「寄付の場合、アフリカの人たちも“支援慣れ”している面があって。支援があるのに結局自分たちで持続してできなくて、っていうプロジェクトをたくさん見てきてたから、(支援に頼るだけでなく)『自分たちでお金を稼いで成長しよう』っていうような“意欲”がないと、成長していくのは難しい。だから(次は)“ビジネス”として『やるべきこと』かなと思った」 
 
もともとケニアへ赴任する以前、任期満了後は「大学院へ行こう」と考えていた。 
 
「国際開発の仕事の場合、修士の資格が大事で、今もいつか取りたいと思っています。 
ただ、協力隊の任期が終わった段階で(自分の状況を考えた場合)大学院に行ってもあまりスキルアップに繋がりづらいかなと思って。 
協力隊へ行って、大学院へ行って、就職って、けっこう難しいかなと。(採用する)企業側からすると『遊んでたんでしょ?』みたいな感じで捉えられる場合もあるから。 
それよりは一旦『ビジネス感覚を身につける』経験を挟んだ方がいいかなと。 
『海外で働きたい』っていう気持ちもあったので、日本に戻ってしまうと海外にすぐ出て行くってのは難しくなるかもしれないという気持ちもあって。 
『(当時は)1〜2年ぐらいだったら、海外で今の状態で働くのもありかな』って思ったんです」 
 
赴任前後の心境の変化を経て、任期満了の近づく中、民間企業の現地採用につながる情報を集め始める。 
 
現地で現場経験を積んだとはいえ、現地に残って働くチャンスは決して多くない。 
 
また、「現地に『残りたい』っていう人の方が、基本的には少ないじゃないですか。 
その中で、私の同期が20人ぐらいいて、こっちに残って仕事してるのが私だけ。あとは、たまに出張やボランティアで戻ってくる人が数人いるぐらいでしょうか」と語るように、協力隊経験者の中でも、任期満了後に現地に残って活動する人は少数派だ。 
 
「(現地で働く)『機会』をね。やっぱりチャンス自体が少ないから、積極的に行かないと。企業側からアプローチしてくるってあんまりないから、タイミングを逃すと厳しい」 
 
当時、アフリカ進出を計画していた企業数社の「募集というか『インターンを探してる』っていう話」を耳にしており、チャンスはゼロではないと考えていた。 
 
少しでも糸口につながる情報を得たいと考え、現地で顔を合わせる機会の多い企業の関係者に「現地に残りたい」という思いを打ち明けて話を聞いたり、「隊員の間にできることはないか?」と思い、ナイバシャで現地のリサーチを手伝ったりするなど、 
当時の自分に出来ることを探し、アクションを起こし続けた。 
 
結果的にそれらの行動が実を結び、 
当時ケニア進出で現地法人設立を計画していた数社のうち、お互いのタイミングの合った日系食品会社で働くことが決まった。 
 
 

ケニアの若い世代の子供たち、一人ひとりの長所を伸ばしてあげられるような仕事をしたい


ケニアに移って4年目となる今。
 
協力隊時代に引き続き、現在の仕事でも、 
自身の長所を活かして、食生活の改善や新しい食文化の普及に取り組むチャレンジを続けている。 
 
「マーケティングや新規開拓の一環で、現地の小学校に給食として販売する企画を、1年前ぐらいから始めたんです。 
(ケニアでは給食制度の整備されていない学校も多いため)それも全部、一からやらないといけないから、 
最初学校に様子を見に行って『どうやって給食を食べているのか』とかを観察するところからデータを集めたりして」
 
一から地道に進めていく分、苦労も多いものの、 
協力隊時代と同じく、自身の長所を活かして粘り強く改善を目指すことに楽しみややりがいも感じている。
 
その一方で、協力隊のときとは立場が変わり、ケニア人スタッフをマネジメントする立場となった今、 
協力隊時代には気づかなかった“教育”の必要性を強く感じるようになった。 
 
「協力隊の時と今の仕事とを比べると、見えてくるものは全然違うかな。 
協力隊の時は人を立ててやることが多かったから、私が上に立ってやるってことはなかったんです。 
でも、今の仕事は自分の下に人がいるっていう立場だから。そっちの方がもっとケニア人の特性というか、それぞれの特徴みたいなものが見えてくる。もちろんそれだけ難しいけど…」 
 
「協力隊の時は“ケニア人全般”っていう感じで見てたけど、今はすごく“個人個人”で見れる。 
日本人でも同じだけど、ケニア人も『一人ひとり、得意なことも苦手なことも全然違うんだな』ってことが見えるんです。そういう(一人ひとりの)長所を伸ばしてあげられるような仕事を(今の職場でも将来的にも)したいと思う」
 
その気づきを掘り下げていくうちに、ケニアの“若い世代の子どもたち”一人ひとりの長所を見出し、可能性を伸ばしていくことが「本当に大事なこと」という考えに行き着いた。
 
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「ただ単に『お金をあげる(金銭的な支援や援助をする)』というより、『教育』という意味で、すごく『人材(開発)』が必要だと思うんです」 
 
「もっと若い世代の子たちをちゃんと育ってていかないと。上の世代は、政治家とか警察とかを含めて汚職が多いし。 
そういう状況を変えていけるのは、今の大学生とかそれ以下の(年代の)子供たちだと思うから、そういうところにもっとお金かけて、将来を担ってくれればいいなと」 
 
「でも、『(ケニアという国が)どういうふうに発展していくか』って、今のケニア人の若い子たちが『日本みたいになりたいのか、それとも今のまま発展しなくてもいいのか』、どっちでもいいと思うんだけど、 
そういうのをちゃんと“決められる”子たちを育ててあげられるような仕事をできればいいなって思ってます」 
 
「(ケニアには)優秀で、すごく『頭いいな』って感じる子は沢山いる。 
けど、教育が伴ってきていないから『もっと磨けるはずなのに磨けてないな』って思うことが結構あって……もったいないなと」 
 
「小中高の教育って大事だけど、ケニアの子供たちって、大学まで行っても、大学教育の質ってすごく悪い。 
教授とかが授業に遅れてくることも多いし、教材とかも全然ないし、書籍とかも高額だから。その影響で、『ちゃんと勉強したくてもできない』っていう人もたくさんいる。そういうところをもっと改善できればいいなって思うんです」 
 
「私のいる職場のマーケティングチームだと、マーケティングの“センス”を持ってるなっていう子がいて。 
その子は大学も出てなくて、普通のシングルマザーの子なんです。でも、すごく『センスあるな』って感じてて。物事をちゃんと動かす力もあるし。 
だから、『ちゃんとした教育を受けてきていれば、もっといいところへ行けたのかもしれないな』とか」 
 
「あと、以前に、ケニア人大学生の男の子が『こういうアイデアで起業したいんだけど支援してくれませんか』みたいなことを言ってきてくれたことがあって。 
その子は『大学で教材が全くない』、教授が授業で出してくれるハングアウトぐらいしかないから『勉強(をしたくでも勉強)できない』て言ってて。 
だからもっと自由に閲覧できるeBOOKみたいなのがあれば、(勉強したい内容や授業内容への)アクセスが簡単にできるし、そういうのを『事業にできないか』っていってる子がいて。 
もちろんできたらいいんですけど……。そう、そういった出来事にも遭遇して、教育問題って深刻なんだなと」 
 
「学ぶための本もほとんど輸入品とかだから、(現地の人は)すごく高くて買えない。 
それがもっと安く手に入って、『勉強したい子がもっと勉強できればいい』のになぁ」 
 
「まだ私は上辺しか知らないから、もっと調べていかないと、本当の実情は分からないけど」 
 
「ケニアに3年間いたら、私も修行が必要だと感じてて。 
大学院に行くとか、ケニアの教育改善につながる案件に携わるとかを出来れば、また新しい知識とかも増えるし。 
『なんとなく』じゃなくて、ちゃんとした知識があれば(自信をもって)言えると思うから、 
もし大学院に行くとしたら、(ケニアの若い世代の子供たちの可能性を引き出すために)『人材開発』とかをやりたいなと思ってて。 
今思えば、もともと教科書の出版社に入ったのも、大学時代にボランティア・サークルで活動してたのもそういうところに繋がってる」
 
 

弱音を吐くことはあると思うけど、自分自身に言い訳せずに生きたい


自身の思い描いたキャリアを歩むことを考える際、(家庭や子育てなどとの)両立に対する悩みや葛藤もある。 
 
「まず子育てって経験がないから、『どれぐらい時間があるか』って、やってみないと分からないけど。 
でも、やっぱり子育ても大事だから。家庭を守るっていうのも大事だし」 
 
「うち、両親同士がすごく仲が良いから、言い争いになって、どっちかが寂しい顔をしてるっていうのはあんまり見たことがないんです。 
そういうのが(自分の家庭をもったら)目指すところ」 
 
「ただ、女性は(家庭や子育てとキャリアとの両立が)特に難しい。両方同時にやるのは大変だから、まず、今目の前にある結婚とか出産とかをやってから、また戻ってくるほうがいいんじゃないかなっとも思ってて。 
それをやりながら、ちょっとずつ何かをやるとか勉強するとか」 
 
「私、新しいことを常にやりたいタイプなんです。 
同じことを、ずーっとやるというよりも。 
だから、子育てだって、新しいことだし。 
それでちょっと落ち着いたら、日本でできることなのか、海外でできることなのかはわからないけど、また違う新しいことをやりたい」 
 
「やり方はいろいろあると思うけど、『(ケニアの若い子たちの)才能を開花させてあげたい』っていう軸は変わらないと思うから、どちらにしても、何か考えて(そこへつながることを)やりたい」 
 
「常に『楽しむ』ほうがいいじゃないですか。 
もし日本に帰らないといけなくなったら、嫌々やるんじゃなくて、自分で新しいことを探してきてやるだろうし」 
 
「『自分で決めてる』と思うんです。“楽しい道に進むのか、そうじゃない道に進むのか”って、自分の選択次第で変わるだけだから。 
もちろん弱音を吐くことはあると思うけど、(自分自身に)言い訳せずに生きれるようになりたいですね」 
 
「それぞれ自分が楽しいと思うこととか、自分が満足することとかって違うと思うんです。 
私の生き方がいいってわけじゃないんだけど……海外へ来て新しいことやってってことが正しいんじゃなくて、 
それぞれ自分の満足する生き方っていうのが、ちゃんと自分の選択で生きていければ、(自分に対しても周囲に対しても)マイナスになることはないと思う」 
 
「『自分がやりたいかどうか』。やらなくて後で後悔するっていうのは嫌だなと」 
 
これからどんな道を進むことになってもそう在りたいし、自分自身と向き合いながら、一つずつ形にしていこうと考えている。 
 
高校時代に思い描いた、 
 
「途上国の人たちと一緒に成長できることをやりたい」
 
という夢。
 
「『なんだかんだあったけど、結局そこに(戻って)来た』んだなと思って」 
 
「そう、ケニアにお世話になってますからね、本当に。ちょっとぐらいステップアップしないと」と笑う荒殿さんの挑戦は続く。 

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プロフィール

荒殿 美香(あらどの みか)
 
1987年度生まれ。 
宮崎県出身 / ケニア(ナイロビ)在住。 
筑波大学 第3学群 国際総合学類卒業。 
 
大学卒業後、「子供の将来に役立ちたい」との思いから、教科書出版会社へ就職。
小学校〜高校を回る営業職として3年間を過ごす。
 
しかし、高校時代から描いていた国際協力への思いを諦められず、退職。NGOのインターンを経て、青年海外協力隊へ参加。
 
協力隊では、村落開発普及員としてケニアの地方都市・ナイバシャ市へ赴任。
農業省管轄の農務官事務所では、小規模農家の指導・巡回や農業技術の普及活動に加え、 
事務所のケニア人スタッフと協力し、乾燥野菜の調理方法やレシピを普及させる試食会を開催したり、
ケニア初開催となる「家庭菜園コンテスト」を開催したりするなど、現地家庭の栄養改善・食習慣の多様化に取り組む。
 
2年間に渡る協力隊の任期満了後、さらなるチャレンジを求めてケニアに残る道を模索し、日系食品会社の現地法人・日清ケニア(JKUAT NISSIN FOODS LTD.)へ入社。 
現在、現地法人のマーケティングマネージャーとして、ケニア人スタッフのマネジメント、プロモーション活動管理、新規開拓事業、マーケティング調査などの業務に携わっている。
 
現地コミュニティに入り込み、ケニア人とともに3年以上を過ごした経験から、現地の教育改善や人材開発の必要性を実感。
今の仕事や将来的な活動を通じ、ケニアの未来を担う、現地の子供たちの長所や才能を開花させることを目指している。

 
 

取材 / 編集

87年会
 
 

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