アフリカ滞在から帰国した2人の同世代が語る、「これからやっていきたいこと」とは?—(1/3)

2015年7月8日



−−−−−『同世代の経験・体験・生き方をシェアすることを通じ、自分自身が「これからどんなふうに生きていくか?」を考える&つくっていくキッカケに。』
というテーマのもと、【87×HOTな話】と題して、海外滞在から帰国した直後の同世代2人に現地での経験談を聞く座談会を開催しました!

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登壇してくれた大山くん(左)と、横山くん(右)


海外に渡り2年間を過ごした二人。
同じアフリカ大陸の中でも、訪れた国の状況は対照的だったと言います。

海外で得た経験が2人の同世代の生き方にどのような影響を与えたのでしょう。

『第39回 東京87年会【87× ”HOTな話”】帰国直後の同世代に聞く 〜海外滞在の経験を経て、感じたこと・考えたこと・変わったこと〜』(2015.5.16(土)開催)での座談会の内容を3部構成でお届けします。
 

そもそも海外に行こうと思ったキッカケ・経緯とは?

 

「その現場を生で見てみたい」

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大山:大学四年時に初めて海外旅行に行ったのがきっかけで、「日本との違いを面白い」と感じるようになって、なんかそれでいろいろ調べたんですね。

そのとき大学生だったから、大学の授業で、栄養学を専攻する中で、途上国の栄養失調のこととかを知って。

そうしたときに、一般的に日本で栄養失調とかってほとんどない。だけど、外には「本当にそういう世界があるのか?」っていうのが、やっぱりすごく気になったんですね。

授業とかって、写真でしか見ないから、わからないなと。「やっぱりその現場を生で見てみたい」っていう思いが、そのときからありましたね。

実際にニュースの中で起こっていること、例えば僕の場合だったら、栄養学の中で、世界で問題とされていることが実際に起きている現場に行きたかった。自分で見てみないと分からないから。


−−−−−大学4年のときの海外旅行がきっかけで、現地に住んでみたい・現地でなにかやってみたいという思いが芽生えたということですか?

うーん、なんかその・・・旅行だけじゃわからないと思って。

最初の海外旅行では多様性に面白さを感じました。「海外って面白いじゃん!」って思って日本に帰ってくる。で、そのあとに国際栄養学っていう授業がある。その授業を履修して、貧困で途上国の栄養問題を知る。そうすると、もうちょっと見てみたくなる。

もちろん「助けられればいいな」って思ったけど、授業で写真を見ただけで知った気になっても、実際に助けることはできないし、この人たちのためにはならないなと。

ユニセフとかに募金する方法もあるけど、俺はそれじゃダメだと思って。自分で直接見てみないとわからないし、自分で直接何かしたかったから、もっと現場を知りたいと思ったし、知る必要を感じましたね。


−−−−−卒業前から海外に行くことは決めてたんですか?

大山:その年にもう卒業だったので「どうすれば現場にいけるのか?」を調べたんです。そしたら協力隊が出てきて、「これ合格さえすれば、いけるじゃん」と思ったんです。

募集要項には、一回の募集で何人いけるっていうのが出ていて、その中でも、栄養士の免許を取って、なおかつ実務経験が2年〜4年とかの中に、実務経験なし(でも応募可能)のやつもありました。だから最初、卒業したと同時に応募して。実務経験なしでいいやつで。チャンスがあれば行こうと思ってたので。

もちろん結果はアウトで。一次の書類審査で落とされ、「とりあえず日本で修行詰めってことかぁ」って思って、病院に就職しました。日本の管理栄養士の世界では病院が一番上だから、病院行っとけば間違いないっていうのがあって。

ただ、チャンスがあればいこうとずっと思ってたから、翌年、一年間病院で栄養士として経験積んでからまた受けて。そのときは一次は通り、二次で補欠合格。欠員が出たら、あなた入れます、みたいな。でも結局欠員は出ずに終わり。で、翌年受けて受かったこと。

協力隊は行きたかったけど、協力隊になることがゴールではなくて、協力隊として現地に行くことで現状を見れる。現状を見ることで、自分のできることできないことって出てくるから、それをもとに実際に「自分がどう思うかな」っていうのを見てみたかったんです。
 

「一緒になにかしたい!現地の人と」

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−−−−−横山くんのほうはどう?海外に行こうと思ったきっかけと、それをしようと思った理由は?

横山:もともと海外に行きたかったから。協力隊っていうのは決めてなかったけど、会社は3年でやめると思って入社しました。ただ、協力隊ってのはたまたまで、もともとアフリカないし、アジアには20代で出ようと思ってて。そういう意味ではプラン通りにいってるかなとは思います。


−−−−−海外に興味を持った時期は?きっかけは?

横山:大学2年の秋。僕が一番最初に行った国がカンボジアで、学生時代に学生団体も立ち上げて、よく行ってました。学生時代にアフリカも行ってたし、東南アジアにもよくいってましたし、「この世界で食っていこう」って思って。

「途上国と関わっていこう」ってのは、そのとき決めました。


−−−−−それは海外に行ったときに、この国を自分の手で豊かにしたいと思うようになったの?関わりたいっていうのは、具体的にどう関わっていきたいと思ったの?

横山:いやそんな気持ちなんてさらさらない(笑)

途上国の人って貧しいんですけど、だからといって、能力がないってわけではない。たぶんハングリー精神でいうと、向こうの人たちのほうが明らかに高いんですね。「だったらこいつらと何かやったほうが今後面白い!」っという刺激をすごくもらって。

特にカンボジア人とかそうなんですけど、現地語学んだあとは日本語学びたいって感じで、すっごく意欲に溢れていて。だったら、むしろ、こういう人たちと何か面白いことをしたいな、と思ったことがきっかけだね。


−−−−−会社やめたあとのプランは考えてたのか?なぜJICAを選んだのか?

横山:会社やめたあとのプランは決めてなかった。ただ、この分野に関わりたいと思ったら、現場を知るのが一番よくて。現場を知るにはどうしたらいいかっていう話で、NGOでもよかったんですが、お金もちゃんと出るし、安全面とかも含めて協力隊が一番よいと思ったんですね。協力隊はしっかりやることをやった上ならば、現地でネットワークを作るのも自分次第で自由。こんなに融通が効く制度はないだろうと。

普通に民間も考えてたし、NGOも考えてけど、結局、協力隊を選びました。
 

⇒次回、「現地での活動内容・失敗談・実体験から得たこと・肌で感じたこととは?」へ続きます

1175283_568521886517960_1302187898_n横山 裕司(あだ名:凡)

香川県高松市出身の87世代。
大学在学中は、国際支援団体「FAVLIC」を立ち上げたり、カンボジアへのスタディーツアー企画などを通じて、途上国と日本を繋ぐ活動を行う。
新卒で大手証券会社に入社すると同時に、上京。その後、青年海外協力隊でアフリカ・ケニアに渡る。赴任中にケニアのサイザル(現地素材)を用いた事業を行う会社「amber hour」を立ち上げ、現在に至る。今春4月帰国。
本人のブログはこちら

 

oyama大山 達也(あだ名:たっつん)

北海道釧路市出身の87世代。
大学時代に栄養学を学び、卒業後は関東(神奈川)で管理栄養士として働く。
その後、人生のテーマの「食を通して世界を知る」ための一歩として、
2013年から青年海外協力隊の栄養士という形で、アフリカ・マラウイ共和国に赴任。今春3月に帰国。
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